宿題は出し方次第で勉強効率を上げもすれば下げもする
何のために宿題を出すのか
卒業生の合格作文を読んでいると、生徒たちの本音がいろいろと見えてきます。修猷館を合格したある生徒が次のように書いていました。
「宿題の量を調整して出してもらえるので、自分のやりたい勉強をする時間がとれてよかった。以前に通っていた塾は宿題が膨大で毎日塾の宿題に追われていた。」
おそらく、上位層を受験するほとんどの生徒は同じように感じているのではないでしょうか。中には宿題量を売りにする塾もありますが、それって上位層の子たちからすると「よけいなこと」である場合が多いのかもしれません。
特に受験が差し迫った時期になればなるほど、受験生それぞれに課題が明確になっており、一律に大量の宿題を出されると個人的な課題に手を付けられないことがストレスになっていきます。生真面目な子であれば塾や学校の宿題を「自分には必要ない」と思っていても時間を縫ってこなします。
2月に、ある中学校で中3生対象に大量の漢字の宿題が出されていました。それを無視もできずに七ゼミ生が自習室でひたすらに漢字を書きなぐっていましたが、時期的にまさに「よけいな宿題」。そんな宿題の出し方を七ゼミはとりません。
かといって七ゼミが宿題を出さないとか、生徒に迎合しているとか、そういうわけではありません。基本的に毎回の授業で宿題を出しています。
ただ、出し方には意図をもっていますし、学年や生徒の置かれた状況によって出し方を変えています。また場合によっては生徒の学力状況や勉強への取り組み方によって出す宿題の内容や量を変えています。特に受験学年以外ははっきりと宿題が必要だと考えています。まだ自分で勉強の意義づけが上手ではない彼ら。勉強のペース管理のツールとして、また生徒たちへの「今何をすべきか」というメッセージとして宿題はとても大切です。
受験学年も年度の前半はガンガン宿題を出しています。基礎的な知識固めの時期なので、そのときどきの学力問わず、受験生が身につけるべき知識を定着させるべくこちらのペースでどんどん課します。一方で年度後半に関してはできるだけ必要最低限の宿題量に抑えます。先の生徒が書いているように、はっきりと自分の課題と向き合う時期だからです。
宿題は出し方次第で勉強効率を上げもすれば下げもする。これが七ゼミの考え方です。