共通点をさがすことが大切なわけ

知識の山に足を取られていませんか?

 生徒が短期的にテストで点数を上げてくると素直にうれしく感じますが、それ以上に長期的なスパンでの成長こそ大切なんだなと感じます。

 七ゼミも今年で4年目なので、数年来通ってくれている生徒も多くなってきました。苦手な科目の克服など目に見えやすい結果を出している子も多くいます。そういった子たちの共通点は「一般化」が上手にできるようになったこと。つまり雑多な知識をまとめることがうまくなったのだと思います。

 英語が分かりやすい例かもしれません。たとえば主語の話。一般化ができない子は「主語がheやshe動詞に”s”をつける」といった具合に単語一つずつの使い方を覚えようとします(というかそう教える先生がいます)。だけど一般化ができる子は単語の共通点を探そうとします。つまり主語が三人称単数のときは”s”と理解をします。

 英語に限らず他の科目もすべてそうで、どんどん学力を上げていく子は等しく共通点を探したり理解したりすることを勉強の目的に置いています。だからそういった子たちは理科の濃度計算も単なる割合として考えることができるし(濃度の計算式なんて暗記しなくても解けることにきづく)、社会の資料問題もなんなくこなしていきます。

 だから毎回の授業で彼らに繰り返し問うのは「ようは何?」ということ。原理原則から入ってとにかく共通点を意識させること。彼らの思考の方向が自然と一般化に向かえばあとは自由に自走していくことが分かっているから同じような問いと繰り返し投げかけています。

 勉強の仕方や考え方はいつからでも変えられるけれますが、かといってすぐに変えられるわけでもありません。これまでの人生の経験・蓄積をリセットするのは誰にとっても抵抗があるもの。子どもだってそれは同じ。少しずつ少しずつ刷り込むように、そしてときに成功体験を積みながら、それでようやく勉強の取り組み方が変わってきます。

 長く七ゼミにいる子ほど自走できるのはそういうことです。