歴史を身近に感じる
きっかけはどこにでも落ちている
私たちが何気なく暮らしている地域でも、ふと目を凝らしてみると史跡や歴史的な出来事が起こった場所は意外と身近にあるものです。街を散策しながらそういったものに偶然出会えると何だか不思議な気持ちになります。当時のことに思いを馳せ、また想像をし、興奮だったり哀愁だったり、様々な感情を覚えます。
先日も旅行先の下関で「壇ノ浦」を訪れました。源平合戦終結の地です。栄枯盛衰は歴史を彩る物語。多くの命が散り、また新しい時代の幕開けとなった壇ノ浦の戦い。今はのどかな関門海峡なだけに、当時のことを思うとなおさら奇妙な感じを覚えました。
小さい頃より歴史が好きだったからか、大学生になり横浜へ移り住んだときはたくさんの「歴史」と出会ってはその度に胸が躍っていました。電車で「生麦」を通過したとき、大学の近くの墓地で歴史的な有名人のお墓を見つけたとき、鎌倉の切通を通り抜けたときなどなど。
そんな歴史の教科書に載っている地名や人物、出来事でなくても、身の回りには本当にたくさんの「歴史」を見つけることができます。博多の街を歩いているだけでも多くの興味深い史跡や由来に出会うことができます。七ゼミがある早良区には七隈線が走っていますが、七隈線には駅ごとに地域名の由来が紹介されています。地域の神社を訪れれば由緒が掲げてあります。少しだけ意識をするだけで、歴史が机上のものから身近なものへと変わります。
教科としての歴史は好きな子もいる一方で、「きらい」と答える子も多くいます。どんなことに興味を持つか持たないかは人それぞれだと思うので「歴史っておもしろいだろう?」と無理強いできるものではありません。ただ、歴史が単なる「暗記」になってしまっているならそれはもったいないと思います。好きにしろ嫌いにしろ、歴史を肌で感じることで覚える知識に色彩が生まれるからです。もしかするとそれが歴史への好奇心をくすぐる一手になるかもしれません。
先日、実家の父より土偶の本が送られてきました。一言「おもしろいから読め」と添えてありました。元は歴史なんて縁遠い父でしたが、仕事を引退したあとなぜか縄文時代や弥生時代にどっぷりとはまったようで、今では歴史ロマンに思いを馳せることが生きがいになっているようです(笑)。きっかけなんてどこに落ちているかは分かりません。「今」は歴史が嫌いでも、そのうち好きになるかもしれません。できれば、そんなきっかけを子どもたちに与えられればいいなと思いながら毎日教壇に立っています。