コミュニケーションが心を優しくする

人はコミュニケーションで安心感を覚えるらしい

 

 コロナによる外出自粛は我が家にも少なからず影響を与えているようで、保育園を長期で休むことになった息子も仕事が休業になった妻もなんとなく疲労感があるように見える。

 息子はとにかくいろんなことに興味が噴出する年頃。「なんでなんで攻撃」が止まらない。妻は息子の「なんでなんで」に一つひとつていねいに答えていく。

 保育園が休みなので一日に一度は息子を公園に連れて行って体を動かさせるのも妻のルーティンだ。自転車の練習も始めた。しかしついに大きな公園も「不要不急」の対象と世の中は判断したようで行きづらくなってきた。だから最近は妻も息子も家にこもりがちになってしまった。

 家に閉じこもると、精神的な閉塞感が生まれるのかもしれない。ちょっとしたことでもイライラしたり、ふと先行きのことが気になって心が沈んだりする。おそらく多くの家庭で我が家と同じようなことが少しずつ起こっているのかもしれない。

 だから少しでも家で楽しく過ごそうとみんな試行錯誤。先日は妻と息子がパンを焼いていた。小麦粉がなくなったから買い物ついでに買ってきてほしいと頼まれたので、近くのスーパーで小麦粉を探した。ところがほぼ売り切れ。ネットで調べてみると、どうも同じことを考える人は多いようで最近は家でパンを作る人が増えているらしい。なるほど小麦粉もなくなるわけだ。

 パンが焼けない。しかし心配はいらない。パンを焼くと楽しい。いいい暇つぶしにもなる。だけどこの閉塞感から忍び込んでくる憂鬱や不安を拭い去るのであればパンが焼けなくてもいい。

 なぜか。人がもっとも安心感を抱くのは誰かとのコミュニケーションだからだ。と、妻が教えてくれた。家族でスキンシップを増やす。笑顔で会話をする。遠く離れている家族と電話で話をする。なるほど今のような非日常的な環境だとつい何か気が晴れるようなアクティビティをしようとしたり有意義な時間の使い方を求めてみたりしがちだけれど、目の前に心が優しくなる方法があったわけだ。

 だから電話をしなさいと妻が言うので、この数日の間に何度か実家に電話をしている。電話越しにでも孫の姿を見るとうれしいようで、電話の向こうの両親ももニコニコしている。話の長い姉の生産性の低いLINEのやりとりにも付き合っている。

 ネットを見ると自粛疲れかなんだか知らないけれどギスギスした雰囲気があるように感じる。誹謗中傷も増えた。同調圧力や価値観の押し付けなどが「協力」という名前の正義の下にうさんくさく我が物顔で歩いている。ああそうか。たぶん、これを閉塞感というのだろう。

 こんなときこそ家族や仲間とコミュニケーションを取るといい。そうすれば、みんなもう少し優しくなれるのではないだろうか。