息子の保育園で実感した子どもの成長における「第三者」のパワーと友達の存在
保育園の先生の抱っこであっという間の解決
先週あたりから、息子が保育園に到着したとたんにぐずり出すようになりました。これまでは園に着くと自分で靴と靴下を脱ぎ、特に嫌がることもなく教室に向かっていました。それがある日から急に靴を脱ぎたくないと言う。彼の中で「靴を脱ぐ」ことは自分は保育園に行ってお父さんは仕事に行くというスイッチ。園に行きたくないのか私と離れたくないのかどちらだろうと考えながら息子を諭していましたが、いずれにせよ困った事態です。
そこに園長先生が現れる。私が困っているのを見て助けに来てくれました。そしておもむろにひょいと息子を抱っこしてニコニコ話しかけながらあっという間に教室へ連れて行ってしまいました。そーっと教室の外から様子をうかがうと、息子、まったくのノーぐずり。むしろ園長先生に笑いかけている…なんだこのギャップは!?
翌日からも息子は園に着いてぐずりを繰り返します。園長曰く「この歳の子は気分がのらないとイヤイヤすることはよくありますからあまり心配しないでください」とのこと。なるほど。しかしそうは言っても毎日ぐずられると、私としては息子を諭すのも大変でちょっと骨が折れるわけです。
どうにか息子を諭して靴を脱がせようとするも息子のイヤイヤは収まりません。泣き暴れることはしませんが、そーっと私にしがみつき頑固な表情で「イヤ」をアピールしてきます。そんな表情で見つめられたら強くも出れない。うん、毎朝困っています。
では最終的にどうしているのか。この後の彼の行動は二パターンです。まず一つ目。園長先生含め誰かしら先生が声をかけてくれて何事もなかったかのようにスタスタと先生についていく。二つ目。たまたまお友達が通りかかると「えっ?ぐずってませんけど」という顔でスタスタと自分で歩いていく。
なるほど人の行動とはこういうものらしい。
子どもは親に甘える 親は弱みを見せる子どもに弱い
塾で長年働いていると、私も保護者の方にいっぱしのことを言うようになりました。
保護者の方に「家で子どもに勉強を教えようとすると子どもが素直に聞かない」とか「喧嘩になってしまう」などと聞くと「そうでしょそうでしょ」とさもすべて分かったように言う。「だから私がお母さんの代わりにお母さんの言いたことを代弁しておきます」とも言う。「子どもは第三者の言うことは案外素直に聞くものです」とも言う。
いろんな保護者と子どもの関係を見てきた経験値からの言葉なので嘘はありません。しかし保育園での先生方に見せる息子の態度を見ていると、本当の実感として親と子、そして第三者と子の関係性が感じられたわけです。
つまり子どもは親に甘えるもので、親はその甘えに弱い。だから理屈とかではなく感情でぶつかってしまうこともあるのだと思います。喧嘩になるのも甘えの発露。甘えられるから喧嘩ができる。一方で子どもは第三者には親ほどに甘えない。子どもなりに体面があるのかもしれません。友達の前ならなおさらなのでしょう。ときどき感情的になることはあっても家の中に比べて外の方が理性的に行動をします。
塾や学校やスポーツクラブのような習い事や、そんな家以外の環境で子どもが親の想像を超えた成長を見せるときがあります。これは子どもたちが甘えを抑えるから得られる成長なのだろうと思います。
七ゼミはどうか。子どもたちに適度な緊張感を与えられているか。切磋琢磨できる環境を与えられているか。そして子どもたちを成長させられているか。日々油断せず、子どもたちの成長のために最善を尽くしていこうと決意を新たにする次第です。
そして息子、明日はぐずるなよ。