将棋に思う、「考える」の質
プロ棋士は一手に数時間かけることもある
数年前より、将棋にはまっています。はまっていると言っても専ら“観る”ばかりで、自分で指すことはあまりありません。下手なくせに負けず嫌いで、形勢が悪くなるとおもしろくなくなる、そんな3歳児みたいな短気には将棋を指す楽しさを覚えるまで先が長いよう。それよりもプロの棋士が指すドラマチックな勝負に心を奪われています。
さて、プロの将棋にはいろいろな棋戦がありますが、私のような素人から見ると、どの将棋も時間が長く感じられるわけです。一勝負に二日かかる棋戦もあります。その勝負の間、プロ棋士は最善の手をじっと考え続ける。人間の集中力は15分しか続かないとよく言われますが、そうするとプロ棋士はもはや人間ではないのかもしれません。そのくらい浮世離れした集中力で盤上に考えを巡らせるわけです。長いときで一つの手を指すのに数時間…うん、とてもマネできそうにない。
中学生が受けるテストはだいたい50分前後
それに対して中学生が受ける学校のテストや入試は一科目50分ほど。五科目合わせても4時間強くらいです。将棋に比べるとずいぶんと短い。テストの形式は瞬発型とでも言いましょうか、いかに持っている知識を素早く正しくアウトプットするかの勝負です。
だから彼らにはじっくり一つの問題に取り組む余地はありません。将棋のように一問に数時間をかけていたらそれで時間終了。
じっくり考えることも必要なことかもしれない
何も学校のテストや入試の形式の是非を問いたいわけではありません。短時間で物事を整理したり正確にアウトプットしたりするのはその人の能力の一つの基準になります。ただ、テストでなく実社会や実生活の中では瞬発的に解答を出すことばかりが求められるわけではありません。じっくり多面的に問題に向き合って答えを出す、これもまた「考える力」として大切なことのように思います。
子どもたちの勉強の場面でも、じっくり考えることが大きな効果を持つことがあります。
以前、横浜に教室を開いていたある経営者の記事を見かけたことがあります。なんでもその塾では講師が子どもたちに解法を教えることは一切なく、授業時は毎回板書の問題が一題与えられるのみ。子どもたちは鉛筆の走る音だけが響く静かな教室で、ただその一問に向き合い、自分の力で答えを導くことが求められるそうです。もちろん中には自力でその時間内に解答にたとどりつけない生徒もいるのでしょう。ただ、この方法でその塾は圧倒的な合格実績を誇っていました。
記事に書かれていたことしか分かりませんので、その塾の仕組みを分かった風に書くのは危険かもしれませんが、ただ同じ塾をやっている人間としてそうだろうと思うのは「自分の力で問題にじっくりと向き合わない生徒は学力が伸びない」という点です。
解法を教えるかどうかは置いておきますが、間違いなく子どもたちが自分で考える作業を経ないと、学力は上がりません。どんなに分かりやすい授業を聞いて理解した気になっても、その授業内容を自分で再現できるかどうかはまた別です。むしろ、再現できません。だからその後に子どもたちは類題を解いて「定着」をはかる必要があるわけです。そしてその質を高めるためには、子どもたちは最終的には自分で問題に向き合うしかないのだろうと思います。横浜のその塾が結果を出せたのはその点に強くフォーカスしたためでしょう。
あるトップ棋士の有名な言葉で、「対局中は脳に汗をかくほど考える」というものがあります。いったいどんな思考や集中の境地か、凡人の私にはうかがい知ることができません。それでも自分なりに考えることに対してそういった姿勢でありたいと思います。そして自分の教える子どもたちにもぜひ脳に汗をかくほど考えてほしい。
子どもたちが脳に汗をかく環境づくり、それも塾の役目の一つかもしれません。今日もこれから生徒たちが来ます。脳に汗をかいてもらう準備をしなければなりませんね。