「理解」って何だろう②
「既知」から「未知」へ
私が塾講師として働き始めたころ、授業の進め方として上司から「既知」から「未知」へ誘導することを心がけろということを繰り返し言われました。
「既知」というのは文字通り「すでに知っている」こと。「未知」は「まだ知らない」こと。新しい単元を教える場合、当然生徒はその単元内容を知らない状態からスタートします。つまり未知の状態です。
「未知のことを理解するのは難しい。だけど既に知っていることとつなげて考えることで、未知のことでも理解しやすくなる」
当時の上司の言葉です。たとえば英語の現在完了形を教える場合、現在形から過去形を確認したうえで新しい時制として現在完了形を教えるといった感じでしょうか。完了形の概念って日本人には理解しづらいところがあります。しかしそれも生徒が既に知っている現在形や過去形といった概念と比べることで理解しやすくなるわけです。
連想してみよう
何かを理解しようという場合、その方法の一つとして「連想」があります。たとえば社会科学でよく出てくる言葉である「構造的」、なんだか分かりそうで分からない言葉です。辞書だったり専門書だったりに出てくる定義をおぼえてしまうという手もありますが、それっておぼえているだけで理解しているかどうかは分かりませんね。つまり概念として構造的という言葉を自分で使いこなせるかどうかは別問題ということです。
だからあらためて理解が重要ということになるわけですが、じゃあどうやって理解するのか。その方法の一つが「連想」というわけです。「構造的」を形成している漢字それぞれの意味やその響きから受けるイメージ、あるいは構造という言葉を使って文を作ってみるなど、いろんな方法で連想をしてみると、うまく言葉に表せなくともなんとなく「構造的」という言葉が絵のようなかたちで頭の中に浮かぶようになります。もしかすると、これが理解ということかもしれません。そうであれば「既知」から「未知」を学ぶことで理解が促されたということになります。
分かりやすい授業って?
じゃっかん理解と話がずれますが、生徒から「分かりやすい」と思われる授業はたいてい既知から未知へ誘導するような形式になっているように思います。これまで出会ってきた授業の評判がよい先輩方の授業はほぼそういう構成でした。
さてさて自分の授業はどうなのか…今日もこれから、油断のないよう授業準備です(笑)