「理解」って何だろう①

「理解をするってどういうことか分かりますか」

 知り合ったばかりの知人にそう訊かれたことが、私が「理解」というものに真剣に取り組み始めたきっかけでした。

 その知人は「理解とは何か、自分は答えを知っている」とも言いました。そう言われるとなんだか悔しくなってあれやこれやと頭をひねってみましたが、どうにもすっきりした答えが浮かばなかったことを覚えています。

 「理解」という言葉は日常的に使われる概念です。おそらくその意味などを深く考えることなく、多くの人がなんとなく感覚的に使っている言葉なのだと思います。

 だからこそ、いったん深く考え始めるとすっきりした答えが出てこない。「喜び」とか「悲しさ」とか、やはり感覚的な概念を説明しようと思うとうまく表現できないことと同じだと思います。言われてみれば理解って何だろう、その知人の問いかけに対して、悔しいけれどうまく答えることができませんでした。

 

 この知人の質問の本質は、理解という言葉の辞書的な定義が何か、ということではありません。そうではなく、人が何かを理解する仕組みや理解にいたるプロセスはどうなっているのか、そして頭の中で何がどうなれば理解したということになるのか、ということです。

 さらにいえば、塾であれ予備校であれ学校であれ、子供に学科を教える立場の人間がそれこそ理解を「理解」しているのか、ということでもあります。子どもたちに理解を促しながら一方でそのメカニズムのようなものを知らない。これでは効果的な学習指導ができません。

 

 以上前置きが長くなりましたが、ここから数回にわたってちょっとずつ理解に関する個人的な見解をつづっていこうと思います。ホームページ本文では書ききれないことも含めてできるだけ丁寧に紹介していこうと思います。