学校の提出物は一石三鳥?

提出物作成に励む七ゼミ中3男子たち

 ここ数日、3年生の男子生徒たちが自習室で学校の提出物を頑張ってこなしていました。受験を見据えて成績への意識が高まってきたのだろうと思います。

 そのためか、内容をどう書けば、または紙面をどう埋めれば高い評価を得られるだろうかと、みんなであーでもないこーでもないと意見を出し合っていました。こういうときの集団は妙な力を発揮するもので、最終的に高評価へのフォーマットにある程度結論が出たようです(笑)。

 同じような要領の良さをきっと誰しもが経験してきたことだと思います。評価を得ようと思えば、中学校時代に限らず、高校でも大学でも、それこそ就職してからでも評価者への見せ方に私たちは気をつかいます。そして大抵の場合、そこに高評価を得るためのマニュアルが自然とできていきます。「あの人は文字で紙面を埋めた割合でやる気をはかっているぞ」「いやいやあの人は自分の意見を述べる姿勢を大切にしていそうだぞ」などなど…

 個人的に、成績のために過度に先生におもねるような姿勢は好きではありません。また、評価を得ることだけを目的とする行為も好きではありません。ずるい大人になってほしくないなという思いもあれば、一方でそういった考えはそもそもなぜ提出物なるものが子どもたちに課されているのかという本質からずれるからです。

 学校から課される提出物の目的はおそらく子どもたちに勉強の習慣をつけさせることだったり、復習により学習したことを定着させることだと思います。提出物の内容で子どもたちの勉強意欲を客観的に評価できるのか等々、物申したい人も多々いるのだろうと思います。ただ、勉強の習慣化という点で反対する人はそう多くないのではないでしょうか。

 例の中学3年生の男子生徒たち。なんだかんだと不平を言いながらでも提出物の作成を通して理科の学習内容を振り返り、また中学生らしい悪乗りがあったにせよ漢字プリントの欄外まで埋まるほどいっぱいに漢字の練習をしていました。

 彼らとしては定期テスト前で自分のやりたいように勉強を進めたい時期。そのために提出物に時間を割くことにストレスもあったようですが、ものは考え様。提出物作成のために費やした時間の分だけ勉強習慣を身に着ける練習ができ、かつ知識の定着まで図られたと思えば頑張った意義は大きいんじゃないかと思います。ついでに成績に好影響が出るのであれば一石三鳥。どうせやる必要があるのであれば前向きに取り組んでほしいと思います。